冠婚葬祭Q&A マナー辞典 > 祭事のマナー > 祭事のマナー > 大晦日の過ごし方は?

大晦日の過ごし方は?

大晦日は時間にゆとりを持って


毎月の最後の日を晦日と言いますが、大晦日は一年のしめくくりにあたる大切なひです。午前中に家の内外の掃除をすませ、お正月料理と晴れ着の準備をして土壇場になってからあたふたすることのないように、ゆとりをもって過ごしたいものです。かつては下着から足袋や下駄まで、お正月にはすべて新しいものに取り替えていました。こうすることによって旧年中のアカを取り去り、気分も一新して新しい年への意欲をかきたてたのでしょう。これは現在でも同じです。新しい年を迎えるのですから、台所用品をはじめ、下着や衣服、身のまわりの品などは、とくに新品にする必要はないでしょうけれど、清潔なものと取り替える程度の準備をしたいものです。あとは夕方くらいまでに家中の片づけをすませ、花や正月飾りを整えて新年を待つばかりにしましょう。

家族揃って食事し反省と抱負を語り合う時間を

年越しの夜のご馳走は、地方や家によって異なります。お正月よりも豪勢に用意するところや、幼子にも大人と同格に尾頭つきが一人前用意されるところもあるようです。欠かせないのは年越しそば。長く幸せに暮らせるようにと願う縁起ものですから、ぜひ食卓に載せるようにしましょう。この年越しそばは、必ず新年を迎える前に食べるのがしきたりです。せっかく年に一度の機会ですから、この日ばかりは家族全員が顔を合わせてゆっくりとたのしみたいもの。全員が揃ったら一年の無事を祝って乾杯し、一年間の反省や抱負をお互いに語り合う家族会議の場にするといいでしょう。

除夜の鐘が終わってから新年のあいさつを

また、この日には各地の寺院で除夜の鐘が鳴らされます。これは仏教の儀式によるもので、江戸時代から日本全国で広く行われるようになりました。除夜の鐘を鳴らすのは、一〇八回。人間の持つ煩悩の数で、また、一年の十二ヶ月、二十四節と七十二候を合計した数だとも言われています。寺院によって、旧年と新年の境目の時間に始める場合と深夜十二時に始める場合がありますがいずれにしろ除夜の鐘が終わったときに新年のあいさつをかわすのがならわしとされています。大晦日の行事は、寺でも神社でも行われています。これは神仏習合が一般的とされていた明治以前の信仰の姿を伝えるもの。大晦日の夜にお参りに出かけ、神社で元旦を迎える「二年参り」も盛んに行われていますので、時間があれば家族で食事のあと揃って出かけるのもいいでしょう。

COLUMN
地方別・大晦日の行事
北海道地方
北海道の各家庭では、一年を無事に過ごせたことを祝い合い、お互いに労をねぎらってご馳走を食べるのが一般的です。これは、北海道開拓の歴史が大晦日の過ごし方に表れてのことと言えるでしょう。
東北地方
山形県の出羽三山神社では「出羽三山松例祭」が行われます。これは、山伏の中から選ばれた「松聖」が位上・先途の両組にわかれて験を競い、悪魔退散を祈る祭りです。
関東地方
栃木県北部などでは、大晦日にコンニャクを食べる風習が残っています。コンニャクは腹の砂を払う効果があると言われるためで、身体の中から身を清めるためとされています。
北陸地方
富山県の夕日神社と朝日神社では、子供たちが「宮ごもり」を行います。まず最年長の子供が指揮をとり、一週間前から神社を掃除します。当日には両神社で寝ずの番を務めて、参拝に訪れる大人たちに神様に代わって新年のあいさつをするという行事です。この「宮ごもり」と同じ名前の習慣は、福井県の南条郡にもあります。こちらでは、大晦日の夜に氏神に集まった氏子たちが元旦の夜明け前に裸で外へ飛び出すというもの。町内の沿道を走ったあと、神社の前の川に飛び込み身を清めます。
甲信・東海地方
長野県では、大晦日のことを「年取り」と言います。下伊那郡阿南町のほうでは、手洗いの神様にお参りする「便所の年取り」を行う家もあるそうです。
近畿地方
京都市の八坂神社では大晦日から元旦にかけて清めの火がたかれ、この火を「吉兆縄」にわけて家へ持ち帰る「おけら詣り」が有名。かつては、この火でお正月の雑煮を用意するのがならわしでした。
中国地方
年越しのご馳走を「ひら」と呼ばれる大皿に盛りつけて用意するのは、島根県隠岐郡のしきたり。このご馳走は全部食べずに残す風習があります。
四国地方
徳島県では十二月二十日から大晦日までに墓の掃除と墓参りをします。県南部などでは、墓に樒を立てるしきたりも残っているようです。
九州地方
福岡県の北部から佐賀県にかけては、大晦日のことを「月ごもりの晩」と呼んでいます。さらに、佐賀県ではこの夜に家族全員が揃って年越しをする「けごぞろい」があり、魚やナマス、酒を添えた夕食で祝います。「けごぞろい」に一人でも欠けると、翌年家族の誰かが災いに遭うとされていたようです。
沖縄地方
沖縄では大晦日を「年の夜」と呼び、一年の感謝をして良い年を迎えられるよう、仏壇や火の神に豚肉料理を供えます。

COLUMN
二十四節はいまも生活に生きている
現在、イスラム教国を除くほぼ世界の全域で使われている暦は太陽暦です。暦は生産の季節を知るために、季節に沿って生まれたものです。そして、季節を支配するのは太陽。太陽暦は、その太陽をもとにしてつくられた暦です。反対に、月の満ち欠けを基準とした暦を太陰暦と言います。日本に暦法が入ってきたのは、仏教伝来の奈良時代。中国から伝わってきたため、そのころは太陰太陽暦と言われるものでした。太陰太陽暦は、季節の移り変わりを太陽の運行によって、毎月を月の運行によって定めた自然と密着した暦法です。ですが、太陰暦の十二か月は三五四日のため、太陽暦と比べると年によっては季節が一か月以上もずれる場合があったのです。そこで生まれたのが、季節の推移を表すための二十四節でした。これは、冬至から冬至の前日までを二十四等分して、それぞれに立春や雨水、啓蟄などの固有名詞をつけたもの。年によって日づけは変化するものの、季節の移り変わりは毎年変わらず知ることができたのです。太陰暦では一年の始まりが立春、太陽暦では冬至を一年の区切りとしています。ですから、明治五年に太陽暦に改められてからは、さまざまな行事に微妙な季節のずれが生じました。現在でも、地方によって季節の行事を一か月遅れで行う習慣が残っています。これは冬至と立春が四十五日ほど離れているため、行事を遅らせることで、もとから行っていた季節に合わせるためです。この場合、旧暦の感覚は生きていることになります。また、とくに農家では生産の季節を知るために、いまも変わらず二十四節気を利用して生活しているのです。


このページのトップへ